今日の七校
九世「伊達政宗」
週が明け,1月も最後の日となりました。
七校周辺は,前日からの粉雪が降り続け,先日まで積もった雪の上に,
更に10センチほど積もりました。
曇り空ですので,残念ながら不忘山を仰ぐこともできません。
空の色と,大地の色が,ほとんど同じであります。
校舎の裏側にある,雪の大壁です。
雪のふとんが,ドンと腰をおろしています(>_<)。
さて,今日は,七ヶ宿の歴史を,ひとつご紹介します。
今から600年あまり前,応永12年(1405年)に
「伊達政宗」という武将が,53歳で亡くなり,七ヶ宿町の
湯原地区に葬られた,という言い伝えがあります。
伊達政宗は,もともと,南北朝時代から室町時代初期にかけて
活躍した,伊達氏の9代当主であります。
(いわゆる「九世伊達政宗」と言われています)
後の,初代陸奥仙台藩主となる,
藤次郎政宗(私たちが知る,有名な伊達政宗公)は、
この中興の祖にあやかり,命名されました。
九世伊達政宗は,自らの領地を守るために戦ったり,
鎌倉府(南北朝時代、京都に成立した室町幕府が
前代鎌倉幕府の本拠地の鎌倉及びその地盤であった
関東10か国を掌握するために設置した機関)と抗争するなど
波乱に満ちていました。
その,九世伊達政宗が,冬の季節に詠んだという和歌が
ありますので,ご紹介します。
なかなかに つゝらおりなる道絶えて
雪にとなりの ちかき 山ざと
(奥州観蹟聞老誌
おうしゅうかんせきもんろうし) 佐久間洞厳 著 より)
動静の人生を送った,九世伊達政宗。
そのお墓は,高畠町の東光寺にあります。
九世政宗儀山公のお墓
(七ヶ宿に残された歌:七ヶ宿町
教育委員会編 より)
静かな歴史の流れですが,
私たちの記憶に,今も刻まれています。